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      <title>牛肉とじゃがいも</title>
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      <description>そんなイメージ？</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
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         <title>おすすめ小説　4</title>
         <description>藤沢氏の小説の特長が、この作品にも充分に生かされていると思えて、私は堪能した、と言えます。


人間誰しも持っていて人には明かせない孤独な心情のあれこれが、この小説には生かされているのです。


逡巡や狡猜も時には顔を出し、単純に相手に勝ったと思う子供じみた競争心や嫉妬も織りこまれていて、政治権力の高みにあった者にもやはり、と思われ、その地平で多くの読者に迎えられるものと私は思いました。


藤沢氏の文章は分かり易く手なれているので、難かしい内容を含んでいる朝鮮使とのやりとりなど、難なく読まされてしまうのですが、次のような文章など美しいです。


間部が白石に、天下の経営はこれから二人でやる、と囁いた時の白石の心情です。



「白石は沈黙したまま間部から眼をそらし、部屋の外を見た。


そして突然に眼がくらむようなものを見てしまったと思った。


見たものが間部の言葉の中にあったのか、それとも部屋の入口までにじり寄っている白昼の光なのかは、すぐにはわからなかった。」


金銀を改鋳して幕府の急を救いましたが、同時に私腹も大いに肥やした勘定奉行萩原重秀も白石の対抗する人物として出てきます。


わが国の今の世の政治家なども読者には思い合わせられるのも自然ではないでしょうか。

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         <pubDate>Wed, 18 Aug 2010 12:20:07 +0900</pubDate>
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         <title>おすすめ小説　3</title>
         <description>「市塵」　藤沢周平著


新井白石の生涯を描いたこれは歴史小説です。


白石は江戸時代半ばの学者であり政治家ですが、その生涯は波乱に富んでいました。


若い時は、土屋家と堀田家に出仕しましたが、いずれも長い勤めにはなりませんでした。


家塾を開いて妻子を養っているときに、甲府藩に召しかかえられることになるのですが、その時の俸禄は四十人扶持であるといいます。


甲府の藩主綱豊に儒学を講じている間に、藩翰譜という書物を著わしたりしていました。


ところが綱豊が六代将軍家宣となるに及んで、白石の運命も大きく変わることになります。


白石の政治や外交に関する意見が、幕府中央のものになったのです。


五代将軍綱吉の、例の悪名高い生類憐れみの令を取り消すことから家宣の政治は始められたみたいです。


噛みつく犬を切ったことで切腹を命じられた武士がいた、というような、むちゃくちゃな悪法でした。


六代家宣は、側近の間部詮房と白石を重用しました。


その政治は綱吉時代の政治の歪みを正道にもどすことにあったのですが、家宣は将軍の座わずか四年足らずで死去します。


さらにその後を継いだ幼い家継も三年ばかりで早逝しました。


白石の活躍した時期は七年余ということになるのですが、為しとげた仕事の量は大きく、多岐にわたっています。


朝鮮使節の待遇改善、金銀貨幣の改鋳、ローマから潜入した宣教師シドッチの訊問などです。

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         <pubDate>Sun, 08 Aug 2010 12:18:10 +0900</pubDate>
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         <title>おすすめ小説　2</title>
         <description><![CDATA[「残花のなかを」というニュージーランド旅行のことを小説化した作品も私は好きです。


クライストチャーチで尿閉状態になり公立病院に入院します。


ツアーの同行者たちと別れ、日本に帰らねばならなくなります。


エーボン川のほとりで、二、三分の花を残した桜の樹を眺めている部分を引用します。



「私もすでに七十五歳に達していて、どうやらまだ現役作家の端くれという存在をたもってはいるものの、桜の樹にたとえて言えば、はたして花などと言えるものが自身の生涯にあったか否か、それは別の問題として、わずか二、三分の花をとどめている残花にたとえられようか。


蕾から開花にいたる桜は風雨にも強いが、満開から散華にいたる花はもろい。


眼前の残花も、一と雨くれば跡形もあるまい。


残花とは、桜花のそういう状態なのだ。」


こういう老境に達した枯淡の文章もあるかと思うと、「三田三丁目」「坂の履歴」に見られる芳醇なエロティシズムはどうでしょう。


こうして私は、墨絵のような枯淡の文章と、エロティシズムの昇華は分かち難く結びついていることを<a style="color:#333; text-decoration:none" href="http://ho-ken.biz/" target="_blank">スペースコレクション</a>調査会によって知るのです。

]]></description>
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         <pubDate>Wed, 28 Jul 2010 12:14:57 +0900</pubDate>
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         <title>おすすめ小説</title>
         <description><![CDATA[「少女」　　野口富士男著


この本は、表題作「少女」を含む8つの短編から成りたっています。


その8つには、想像力の賜物である醇乎たる小説世界、というものもありエッセー風私小説風というものもある、という具合で微妙に変化しています。


しかしこの作品集を通して言えることは、野口富士男という作家の文章の魅力であり、私は小説を読む喜びに充分にひたることができました。


表題作「少女」は、1985年の作品ですが、その当時世評の高かったものを今度初めて読んで、今更ながら感嘆しました。


住友令嬢誘拐事件に材をとったかと気づいて当時を思い出し、事件の写真をひっぱりだしたりして感銘を反劉しました。


海兵団の衛生兵から帰還した一青年が、ふとしたことから令嬢誘拐を思いたちます。


それが意外にも簡単に成功したのも、敗戦後の社会の疲弊混乱と無縁ではないでしょう。


<a style="color:#333; text-decoration:none" href="http://d.hatena.ne.jp/jutaku00/" target="_blank">スペースコレクション</a>同好会によると、食糧不足と猛烈なインフレのために人々は、自分が生きるに精一杯で他人のことなどかまっておれないのです。


小倉恭介という青年の左手につかまったまま眠りこけている少女。


上野駅から乗りこんだ直江津行の夜汽車。


その少女の余りにも頼りきった無垢の態度に、小倉のなかにあった身代金をとろうという物欲とか色欲とかが浄化されていってしまいます。


そういう小倉の心の変貌が、この小説には細かく鮮やかに表現されていて、こちらの胸を打つのです。

]]></description>
         <link>http://eclassified.info/2010/07/post_26.html</link>
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         <pubDate>Thu, 08 Jul 2010 12:10:39 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>お出かけ日誌・・・諏訪ノ森駅 その２</title>
         <description>休日になるとこの駅舎をスケッチにくる人もいるという。
ちなみにこの絵に描きたくなるような駅舎はホームの北端に建つ上り線専用駅舎で、
下りホームは踏切を渡った五十メートルほど北側にある。

付近は古くからの高級住宅街で、
大正時代から北浜や船場に通ラホワイトカラーのモダンな住宅が建ち並んでいた。
その大正時代中期に建てられたという諏訪ノ森駅は
いわば町のランドマーク的洋館造りで、
似たような洋館を町にかいま見ることができる。</description>
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         <pubDate>Fri, 18 Jun 2010 15:20:13 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>お出かけ日誌・・・諏訪ノ森駅 その１</title>
         <description>昔は松原の続く泉州の海岸線を走っていた南海沿線には見るべき駅舎が多く残る。
その代表が浜寺公園駅だが、
隣のこの諏訪ノ森駅も見のがせない姿を見せる小駅である。

特に正面上部に残るアーチ状のステンドグラスには
淡路島を望むかつての諏訪ノ森海岸が描かれ、
腰壁には鉄平石を貼り、窓回りの造作に装飾を施した洒落っ気たっぷりの建物である。
ほんの六畳間ほどの改札スペースには小さなベンチもあり、
古い駅らしくホームには階段で登る。</description>
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         <pubDate>Sat, 05 Jun 2010 15:19:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>お出かけ日誌・・・淡輪駅</title>
         <description>大阪府の南端に近いツツジの名所で知られた淡輪遊園の下車駅。
木造モルタル造りの正面に、
愛敬たっぷりににょっきりと木造の時計塔が立つ建物である。
観光地の玄関口として建てられたこの駅舎は
大正十四年（一九二五）の完成。狭い丘の上に建つ駅で、
人造大理石でできた改札口が前面にせり出した、
待合室のない私鉄スタイル。

ホームとの間に
そこそこのスペースがあってゆっくり電車を待つことができる。
カネを払う客にはサービスするいかにも関西らしい?合理的な駅舎である。
七十年の歳月を経た今では時計塔の時計も失われ、
古びたお伽の国の駅といつた風情が漂っている。

駅前からは淡輪ヨットハーバーや海水浴場に下る道が伸び、
春はツツジ観賞、夏になると海水浴客で賑わう一帯はいわばB級観光地。
その淡輪遊園の高台からは関西新空港を望むことができる。
また駅のすぐ裏手には宇度墓古墳が横たわっている。</description>
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         <pubDate>Sun, 16 May 2010 15:19:17 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>お出かけ日誌・・・水間駅　その２</title>
         <description>大正十五年(一九二六)以来あっていない様子の事務室や出札口も嬉しくなるほどに古び、
臨時の改札口や木造待合所にソバ屋もあるなど小さいなターミナルの風景を見せている。

駅に隣接して車両検修施設があり、
ホームの隣にはかつて活躍していた五〇〇系の電車存されている。
現在は元東急の七〇〇〇アンレスカーが走り、いまでは路線
自体も近畿郊外の通勤線となり、
無人駅と自動改札が同居する都市化したローカル私鉄となっている。</description>
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         <pubDate>Sat, 08 May 2010 15:18:44 +0900</pubDate>
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         <title>お出かけ日誌・・・水間駅　その１</title>
         <description>泉南地方の平野をトコトコ走る水間鉄道は、
厄除けで知られる水間観音の参詣鉄道。
その終点水間駅は期待にたがわぬ寺院風駅舎である。
コンクリートの「二重の塔」は小ぶりだが量感十分で、
屋根に堂々たる九輪が直立している。

おまけに、駅舎にしてはスペース不足とみたか左右に棟を張り出して、
両角小部屋を設ける不思議なレイアウかく真正面から見ると
「アールデコを太刀持ちにした多宝塔の土俵入り」といっ遊んでいる終着駅だ。</description>
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         <pubDate>Fri, 16 Apr 2010 15:17:40 +0900</pubDate>
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         <title>お出かけ日誌・・・那智駅　その２</title>
         <description>この駅のもうひとつの見所はホームからの熊野灘の眺望で、
この付近は線路が海側を通っているため緩やかな
入り江沿いに走ってくる列車を見ることができる。
那智駅は大正元年(一九一二)十二月四日の
新宮～串本間の新宮鉄道の開通とともに開業。

これは国鉄が三重側と和歌山側から紀勢線を建設し始める大正十年代よりもはるかに
古い。難工事区間が多かったこの紀勢本線は部分開通をくりかえし、
全通は昭和三十四年(一九五九)まで待たなければならなかった。
見どころの那智の滝まで約六キロと離れており、
今では駅利用の観光客もわずか。現在は無人駅となっている。</description>
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         <pubDate>Tue, 06 Apr 2010 15:17:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>お出かけ日誌・・・那智駅　その１</title>
         <description>新宮・本宮どならび熊野三山のひとつ熊野那智神社と、
西日本屈指の漫布那智の滝への玄関として建てられた社殿造りの駅舎。
観光駅らしく瓦屋根の正面には立派な山形の破風
を見せ、朱色に塗られた破風板や、懸魚の飾りがそれらしく見せている。

しかし社殿風とはいっても重々しさのないシンプルなもので、
あまり細かな造作こだわらない南国風の気分を漂わせている。</description>
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         <pubDate>Thu, 25 Mar 2010 15:12:27 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>1617年</title>
         <description>1617年にアスンシオンを中心とする総督領から、ブエノスアイレスを中心とするラ・プラタ総督領、サン・ミゲル・デ・トゥクマンを中心とするトゥクマン総督領が分離する。
17世紀以降はイエズス会宣教師による先住民への布教活動が、農業活動なども含めて活発に展開された。現在も残るイエズス会布教所跡はこの時に建設されたものがほとんどである。
イエズス会はブラジルのサンパウロからやってくる、バンデイランチと呼ばれた奴隷商人への抵抗のためにグアラニー人に武装させた。
ポルトガル人奴隷商人によって多くのグアラニー人が奴隷となってブラジルに連行されたものの、この軍隊はしばしばポルトガル人を破ってスペイン植民地の辺境を防衛する役目を担った。
ローマ教皇に直属し、以後スペイン王室や副王の役人も容易に口出しできなくなったイエズス会の伝道地は、原始共産主義的な様相を帯び、自主自立の独立国家のような存在として、その後も他の地域のインディヘナが味わったような辛酸には至らず100年近く平和に存在し続けた。




パラグアイのほうでは、南米にありがちな、
ヨーロッパとの衝突があったというわけではないんですね。</description>
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         <pubDate>Sat, 06 Feb 2010 12:12:52 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>パラグアイの歴史</title>
         <description>元々この地にはグアラニー人をはじめとするトゥピ・グアラニー系のインディヘナ諸集団が住んでいた。
タワンティンスーユ（インカ帝国）の権威はこの地までは及ばなかったため、
多く人々は原始的な共同体を築きながら生活していた。
しかし、16世紀初頭以降、この地にもセバスティアン・カボットをはじめとするヨーロッパ人がラ・プラタ川を遡って渡来するようになる。

1537年にブエン・アイレからの探検隊によりアスンシオンが建設されると、スペイン領となった。
この建設はラ・プラタ川からアルト・ペルーへの陸路と存在すると思われた「銀の山」を探すためであり、かつポルトガルの領土拡張に対する防塞建設のための遠征の結果だった。

チャルーア人のようなラ・プラタ地域の狩猟インディヘナとは違って、
粗放とはいえ農耕を営んでいたグアラニー人は文化程度も高く、
スペイン人との同盟により敵対していた他のインディヘナと対決することを決め、
スペイン人もこれを受け入れたので両者の間に交流が生まれ、
混血者（メスティーソ）も発生していった。



パラグアイのほうは原始的な生活をしていたのは意外な感じです。</description>
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         <pubDate>Sat, 09 Jan 2010 12:03:59 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>グアラニー族</title>
         <description><![CDATA[<img alt="250px-Guaranies-brazil.JPG" src="http://eclassified.info/images/250px-Guaranies-brazil.JPG" width="250" height="273" />
グアラニー族 (Guaraníes) とは、アメリカ州の先住民族の一つで、主にパラナ川からパラグアイ川にかけてのラ・プラタ地域（現在の地域でアルゼンチン、ボリビア東部、パラグアイ、ウルグアイ）と、ブラジルに住んでいたが、純粋な民族としてはほとんど絶滅し、グアラニー語を話せる者の多くはメスティーソになっている。日系パラグアイ人によると発音は「グアラニー」よりも「ワラニー」に近いようである。




グアラニー族はどちらかというとモンゴロイド系で日本人にも近いようです。
やはり農耕民族というのもなんだか親しみがもてます。
いまでは純粋なグアラニー族の人はいなくなってしまいましたが、
ルーツを持つ人はたくさんいるようですね。]]></description>
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         <pubDate>Wed, 09 Dec 2009 12:22:10 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>テレレ</title>
         <description><![CDATA[<img alt="170px-Mate_containing_terer%C3%A9.JPG" src="http://eclassified.info/images/170px-Mate_containing_terer%C3%A9.JPG" width="170" height="208" />
テレレ、Tereréは冷水でいれるマテ茶（Yerba mate）の飲み方の一種。
グアラニー族伝統の飲み物。パラグアイでよく飲まれている。

木や動物の角などで作ったカップ（グアンパ）に茶葉（イエルバ）を入れ水を注ぎ、
先に小さな穴がたくさん空いた特殊なストロー（ボンビーリャ）を使って飲む。



マテ茶の飲み方のひとつらしい。
お茶をストローで飲むというのが変っていますね。]]></description>
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         <pubDate>Tue, 10 Nov 2009 10:18:09 +0900</pubDate>
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